sophia

セネカはいいました。

怒りは性急である。理性は公平な判断を下すことを望むが、怒りは下した判断が公平に見えることを望む。 暴には和をもって当らねばならない。

□ 漫画「蒼天航路」より。

◆ 空をみて。切り取られて見えるが、その先は果てしなく広がっている。 ● それが、天である。そして、その下にいる自由であり、可能性。 ★ 最大のマッピング(地図作り)は、天であり、その下の自分。 ■ 後輩からメールでの質問に答える ◆ いい問いは、自分…

知性とは、己の不能を言語化する能力である

2003 1006マスメディアは、 わからないっていうアナウンスはない。 それは権威が持つ正当性を主張したいから、 わからないということは許されないことになる。そんな真実をすべてカバーできる情報は そもそもありえないにしても。だから、読み手はマスメディ…

 ○○とは何か 論の限界性

(「○○とは何か?」という、)現在形の問いは限りなく「べき」論に近い。それは、問い(コンスタティブ)ではなく、敵味方を分けるための戦術(パフォーマティブ)でしかない。 わかるなぁ。 「ためらいの倫理学」において内田樹がいっていたことで。 まぁ、…

100本と1000本、達人に聞くブログを3年続ける秘訣

http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000658.html 数字というのは、結果としてのひとつの指標でしかないにせよ いい目安になる。振り返ってこれくらいあったのかぁと。

精神と物質・身体と宇宙

松岡正剛の千夜千冊『情報宇宙論』 「精神=物質をめぐる近代の世界像はこうして"情報"とそのインターフェースという一元的な宇宙の中でそれ自体が編集可能なものとなる。そこで重要なのは、精神の放棄あるいはその限定された形での防衛などではなく、むしろ…

 村上春樹

天才を、「本質を見抜く人」というカーライルの 言葉を引用するなら、村上春樹はやっぱり天才だとおもう。世界の終わりとハードボイルド・・を再読して、 海辺のカフカを読み終えて、自分が長くテーマにしてきたことの、 結構な部分を行っているとおもう。孤…

 競争ではなくて、闘い

mi=身体・こころとからだ 武蔵を読み。 闘いとは、相手の魂を受け継ぎ、成長してゆくこと。刀での命のやりとりがあった時代、 拳でわかりあった時代、現代の身体をぶつけ合うやりとり(闘い)って なんだろうと、ふと自分がいままでやってきた スポーツを振…

 ▼ 考える→思索+時熟

思索は、人間本質への存在の連関を完遂する。 思索は、この連関をただ存在から思索そのものへと 委ね与えられた事柄として、存在に提供するだけである。 この提供するということは、思索において存在が言語へと 至るということに存する。(ハイデガー) ▼ 時熟…

 内田樹の「考想」

「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」 私はこの考想をエマニュエル・レヴィナスとアルベール・カミュとカール・ポパーと小田嶋隆から学んだ おれも学ぼうっと。

思考の素材としてはすでにじゅうぶんすぎるほどなのだ

「世界があり、自分がいて他の人もいる。物が見え、体が動かせ、言葉がしゃべれる。それだけでも思考の素材としてはすでにじゅうぶんすぎるほどなのだ」(『翔太と猫のインサイトの夏休み』あとがき 永井均) そうかもしれない。 そこからはじまるし、はじま…

 ニーチェ・フーコーと権力―構造主義への系譜

>> フーコーは、ニーチェから大衆嫌いの傾向も、継承し、 その結果現代大衆社会では、「大衆なんて大嫌いだ」 といと大衆たちが口を揃えて言い立てるという 「ポスト大衆社会」的な光景が展開することになりました。内田樹「寝ながら学べる構造主義」 ▽ 現…