2003-12-09 思考の素材としてはすでにじゅうぶんすぎるほどなのだ sophia 「世界があり、自分がいて他の人もいる。物が見え、体が動かせ、言葉がしゃべれる。それだけでも思考の素材としてはすでにじゅうぶんすぎるほどなのだ」(『翔太と猫のインサイトの夏休み』あとがき 永井均) そうかもしれない。 そこからはじまるし、はじまっているということを 自覚するためのことばだ。