○○とは何か 論の限界性

(「○○とは何か?」という、)現在形の問いは限りなく「べき」論に近い。それは、問い(コンスタティブ)ではなく、敵味方を分けるための戦術(パフォーマティブ)でしかない。

わかるなぁ。
「ためらいの倫理学」において内田樹がいっていたことで。
まぁ、パフォーマンスが自明のことであるならば、それも一つの
ゲームとして、とらえてみるのもいいとおもう。(真剣に返すのではなくて。)