アーティファクト−身体と考具

メール転送。問題意識の記録。

友人はかきました。

> > 僕の思うに(考えるに、ではない)
> > 最も使い方の難しい考具は「脳」。
> > 究極の考具は「身体」特に「FiveSense、五感」。


>自分のレス

> ハードウェアとしての身体をどのように
> 考えるか。
>
> 思考というよりも、身体としての思考。
>
> そう、
>  「 身体が頭いいかどうか 」


をふまえて、先日行った考具の会での、
気づきひとつ。

考具の考え方として新しい 気づき を。

考具って、自分の脳というか思考というか、
身体のありたい姿を、あるべき姿にもってく
ための道具であり、手段 なわけで、

そういう意味で、

ディスプレーの多さについて
語ったときに、作業「効率」は向上するけど、

「能率」そのもの(自分の頭や身体の機能具合)

への意味や重要性がどれだけあるのかには
疑問視をしてて、ふむぅ、なるほどぉと。

でその例で、---の

 鏡をみることを目的としていない
 その鏡に映ってる、自分をみること

が大事だという話になって。(これは、比喩ね)

これは、ここ数日道具について考えていくひとつ
いい示唆になっております。

そう、それは、

  道具を使う者の感覚について語る

ということ。

Blogにアウトプットされるまでの
道具の活用による編集プロセスだけでなく、

「アタマの中で、何を意図し、
 何を動かしているのか
 どう動いているのか、  を知りたい」

と言ったことに近いのかも。

   →いずれ改めて書くけど、このあたりにヒントがあるかも。 
   http://sota.versus.jp/archives/000075.html
   http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000658.html

以前は、will×skillといってた。

考具というよりも、最近は
アーティファクト」という言葉の方が
適切かなぁと。

アーティファクトとは、
「表現機能を果たすことを目的として、情報を保持し、表示し、
操作するようにデザインされた人工の道具」のことである。
www.nakahara-lab.net/nomadpub1-jun.html  引用。

これに、多方面からの「身体論」を加え、
模索中。

問題意識はこのあたりから
 → http://sota.versus.jp/archives/000076.html