イヴァンイリイチの「脱学校の社会」も。
http://www.valley.ne.jp/~ichinose/bk_deschool.html
ポイントは、すぐれた教育制度は3つの目的を持つべきである。
第一は、
誰でも学習をしようと思えば、それが若いときであろうと年老いたときであろうと、人生のいついかなるときにおいてもそのために必要な手段や教材を利用できるようにしてやること、第二は、
自分の知っていることを他の人と分かちあいたいと思うどんな人に対しても、その知識を彼から学びたいと思う他の人々を見つけ出せるようにしてやること、第三は、
公衆に問題提起しようと思うすべての人々に対して、そのための機会を与えてやることである。
あと、以前内田樹のコラムを引用して学校の役割について
のべたなぁ。
どうしても、学校という場のアンチテーゼもしくは
補完機能的な発想になるのは、あまりにも
学校という場にコミットしている時間が多すぎるからだろうなぁ。
(もっといえば、ひとりの先生に40人があの黒板
と教科書にむかってオベンキョウをしてる状態の振りの持続)
よく、あれだけの時間、あきもせずにあの場にいたなぁと。
(一時期からは、マンガを読む時間になったりもしたが)
> とにかく彼らのような年頃には世界の広がり、社会との接点
> を見せてあげることで無限にエネルギーを投資してくれること
> を実感してます。
ですなぁ。