日々という時間の意味と価値

時間と日常について、これ以上的確に表現した
作品を他に知らない。これはとても大きな
「現代の問い」だとおもう。いや、自分の課題
である。

日々はそれぞれに適量の義務や問題を含んで到来し、
また去ってゆく。

毎日の終わりにはちょっとした達成感があり、
それを七日間まとめれば一週間という日時を
有益に過ごしたことになる。

同じようにして一ヵ月でも一年でも、
時間という空の容器に何かを詰めることはできる。

しかし、その手応えに騙されてはいけないと思う。

うかつな者はそれだけで何かをやりとげたような気になるが、
次々に飛来する球をとりあえず相手コートに返しているだけで
全然得点していないということだってあるのだ。

次の論文のアイディアはなかなか具体的には展開せず、
雑務ばかりが時間を盗んだ。

仕事の中心には興味深いことがたくさんあるのに、
そこに到達するのは容易でない。立ち止まって考えれば
苛立つことになるから、仮の運動感で自分を麻痺させる。

動いているのだから何かしていると思わせる。

その一方で、それで満足してはいけないと自分に
向かって小さな声で言う。事態が何も変わっていないことは
わかっている。だが、どう変えればいいのかわからない。

池澤夏樹「真昼のプリニウス