テクストの快楽 ロラン・バルト

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0714.html

>>ロラン・バルトがテクストを綴るときに必要としたのは、読者  の人格なのではなく、空間だった。モーリス・ブランショもそ  れをわざわざ「読書空間」と呼んでみせた

>>バルトが試みたテクストは、エクリチュールを悦楽の科学と   し、レクチュールを身体のカーマスートラにするような、そん  なとんでもない快感をめざすものだった

・inter-text”(相互関連テクスト性)
[book]零度のエクリチュール
[book]表徴の帝国
日本の情報を圧縮する俳句という技術とセンス
意味を解釈し、追い求めることから離れる―「作者の死」

http://member.nifty.ne.jp/rkoike/articles/memoire-rsm.html
空虚な記号

>>私たちは思想内容をいくら批判されてもこたえないが、思想をかたる言葉遣いを批判されるとひとことも返せなくなる。(おそらく、「文体」が、バルトに言わせれば、生物学的に刻印された私たちの宿命、私たちの「牢獄」だからである。) 「言葉遣い」についての批判に反論しようとするとき、私たちは自分が準備した反論のひとことひとことが批判の正しさを確証するような仕方でしか(つまり、その「パターン」をすっかり見透かされてしまった語法によってしか)語られ得ないということに気づくからである

内田樹